塩狩峠記念館友の会会報「塩狩峠」第2号
第2号(平成14年4月5日発行)
発行・編集 塩狩峠記念館友の会
心地よい汗と笑顔の中で ~活動の和がひろがる「友の会」~
塩狩峠記念館友の会が発足してはやくも10カ月を迎えようとしています。発足当初は7名の会員でしたが、今では22名の会員を数えるまでに成長しています。
交流と安らぎのある空間づくりと、訪れるみなさんに愛される記念館をめざして、これまで活動してきました。
振り返ってみると
- 記念館周辺の環境整備のための朝5時から肩にブラシカッターを担ぎ、朝露のはれぬなか心地よい汗を流しました。
- 「池田千鶴子ハープコンサート」では運営に携わり、池田さんを囲んで楽しい昼食を開催、交流を深めました。
- 三浦綾子原作「母」前進座旭川公演では観賞ツアーを企画、多くの方の参加をいただき感動を共有してきました。
などなど
「会員自らが楽しもう!」をモットーに、これまで、心地よい汗と笑顔のなかで「友の会」の活動の輪をひろげてきました。
迎えた今年も「友の会」は」勢力的に活動を積み重ねています。
2月27日(水)に塩狩峠記念館友の会会員の中島啓幸さんの講演会が、町立図書館でおこなわれました。「塩狩峠と一瞬の勇気~三浦綾子さんと長野政雄~」と題し、三浦ご夫婦のエピソードや、長野政雄さんの隠された逸話など、貴重なお話をしていただきました。
2月28日には、小説「塩狩峠」の主人公のモデルとなった長野政雄さんを偲び、毎年恒例の「アイスキャンドルの集い」が開かれ、1,200個のキャンドルのあかりがともるなか、約150人が故人の冥福を祈りました。
また、この日は北海道文化放送「のりゆきのトークDE北海道」の人情駅前図鑑コーナーのスタッフが取材に訪れるとともに、NHKハイビジョン放送「よみがえる作家の声 三浦綾子編」のスタッフが東京から来町するなどの活動をおこない、スムーズに仕事ができたと喜ばれていました。(荒瀬代表の取材もありましたが、残念ながらカットでした)
新年度に向けてパワーアップ
平成11年5月の開館以来、延べ42,365人の来館者を受け入れてきましたが、年々微減している状況を改善するため4月の開館から新しい試みを計画しています。
その一つとして、記念ハガキの販売及び新しいパンフレットの作成等、年間に1万人以上の方が訪れている記念館の集客力を活かした事業を展開したいと考えています。
また、思い出ノートの編集や記念館周辺の環境整備などにも積極的に関わり、記念館の魅力アップに努めるとともに、これらの事業を円滑に進めるため、マンパワーのアップをめざし「友の会」への加入も積極的にお願いしていきたいと考えています。
『記念館』4年目を迎え新たなスタート! 来館者5万人をめざして
オープン4年目を迎えた今年度の記念館は、地域の方たちの「友の会」入会を受け、一層地域との協同を深めた、ひと味違った活動になりそうです。
先日の新聞にも取り上げられましたが、この4月から和寒郵便局が記念館内に臨時郵便局を設け、郵便物に同館や塩狩峠をあしらった記念通信日付印を押印するサービスを始めました。
これは、「訪れた記念になるようなものを」と「友の会」のアイデアを郵便局側に伝え実現したもので、記念日付印のデザインも「友の会」が手がけました。館内には昔懐かしい丸型ポストのミニチュアが置かれており、塩狩峠記念絵はがきを買い求め投函できるようになっています。「友の会」ではこれを弾みに来館者を増やしたいと考えています。
来館者の声 ~記念館ノートから~
記念館に設置している来館者ノートに寄せられたメッセージの(ほんの)一部です。近いところは地元・和寒や旭川市など近郊の市町村をはじめ、遠いところは九州地方やなんと海外からのお客様もいらしています。来てくださったみなさん、本当にありがとうございました。
長年の夢がやっと叶いました。旧宅が忘れられず、こうして塩狩峠の記念館として残されたこと、うれしく思います。また再び来たいです。 良い思いでをありがとうございました。
実際使用していた机などを見て、不思議な感動を感じました。 外も中も心地よい空間でした。
三浦作品の影響を随分と受けました。 この建物が守られ、多くのかたが「塩狩峠」の作品と触れる機会を持たれることを、願わずにはいられません。
口述筆記を初めて体験させていただきました。 光世さんの愛の深さを少し感じられたように思います。 いつ来ても素敵な所ですね。 ありがとうございます。
空は快晴、いつもは素通りする場所でしたが、何かに導かれるかのように、気がつくと寄っていました。 昔の良さが残っている感じがあり、心が何故かなごみます。 ここから5kmの和寒南丘森林公園も、天気のよい日に訪れると、なんだか1日得をしたような気になります。 うーん、良かった!また誰かに教えよう。
口述(筆記)を試しにやってみました。 大変です・・・。自分でも読めない字になってしまいました。 綾子さんもとよいり、光世さんのご苦労がほんの少しだけわかりました。
念願の塩狩峠へやってきました。思い立って10年、夢がかないました。
私は仙台に留学をしています。 三浦綾子さんの「氷点」と「塩狩峠」を読んでから、実際に旭川と塩狩を見たいと思ってここに来ました。 とてもうれしいです。
友の会リレートーク 峠の呟き ~塩狩峠と私~ 和寒町字中和 金児義明
峠の麓で暮らす私は、子どもの頃から蒸気機関車の音を遠く聞きながら育ちました。
昭和44年頃、静岡県の園芸農家に実習に行っていました。
休日に本屋さんに行くと、「塩狩峠」という本が目に飛び込んできました。和寒を離れていたので、ただ自分の生まれた地名が懐かしいというだけで、三浦綾子さんも何も知らずに買ってしまいました。
これが小説「塩狩峠」との出会いです。
私には長野政雄さんのような生き方は出来ないと思いますが、塩狩峠を愛し訪れてくれる人が少しでも多くなり喜んでくれればと願い、麓で暮らす者として、活動を続けたいと思います。